カテゴライズ

大人になってから音楽を始めた僕にとって、演奏の技術以外のことも勉強する必要があった。
勉強って言ってもセミナーや講座を受けるようなことじゃなくって、本を読んだり、実際に見聞きして体で吸収するということ。
それとクラシックギター。二胡を始めた半年後にクラシックギターもやってた。
今は練習も全然できてないので色々忘れたけど、音楽的な知識は吸収できたことが多かったなぁ。二胡だけだとコレが不思議となかなか教われないモンなんですよね。
清水宣晶先生、その節はありがとうございました!

鼻に指突っ込んでるよ〜

ちっちゃい子供の時って、日本語を覚えようとして覚えたワケじゃないですよね?
なんか生きて育っていくウチに段々話せるようになるカンジじゃなかったですか?
でも大人になってから英語とかの勉強してた時は、どーしても頭の中で一回翻訳しちゃう。

一時期英語を話せるようになりたいと思って、色んな本読んだけど反復して体に覚え込ませるのがやっぱり良いみたいですね!
それでも翻訳しようとしちゃう。先に頭で考えようとしちゃう。
それは、なまじ人生経験があるからだと思う。
過去の経験則から構築的に、これはこういうことなんじゃないかって仮定を立てて、あとは実際にそれが使えるかどうかの検証グセ。

そして単語そのものの訳や、文法を訳すっていうことだけじゃないことも分かった。
文化の違いは、言葉の意味する範囲が根本的に違うということ。
haveの持つ意味は、訳そうとすると色んな日本語に置き換えられるけど、その日本語訳もあくまで概念やイメージを、当てはまるいくつかの日本語で言語化したもの。
その概念やイメージする範囲が、haveには者や人だけじゃなく、時間にまで範囲が適用される。
えっと、ちなみに僕の英会話はからっきしのまま、フェードアウトしました(^_^;)

日本語と適用される範囲が違うってことに気づくのに時間がかかった。
なにせ過去の経験で覚えた、日本語の適用範囲の中でしか考えられなかったワケですから…

そんなこんなで、音楽語を理解するのにも、この概念はどのカテゴリーに属しているのか?というものを、おっちゃんのカッタ〜い頭でカテゴライズしてきたわけですよ。

でも、音楽語の中だけで解決するのじゃなく、これまでの経験則から、その言語をどう自分なりに応用できるかが大人の強み。
グラフィックデザイナーという職業を経験してこれたのは、ラッキーだったし、間違いなく強みになっている。
そしてやっぱり思ったこと、分かったことは “知識や技術は目的にはなり得ない” ということ。
色々知ることや、技術を高めることに越したことはないけど、高い技術や知識だけが人に伝わる全てじゃない。
中にはカンだけで人を感動させちゃう人もいるんだからズルイよな〜。

これまでの経験の中だけでしか、脳は選択肢を列挙できないので、これからいっぱい経験できることで、また変わっていくかもしれないけど、僕が今現時点で音楽に思ってること。
それは、自分の持ってる美意識とか、美学とか、哲学とか、人生観とか、単純にこれがオモシロイとか、楽しいとか、悲しいとか、高尚なものとか、低俗なものとか、善意とか、悪意とか、バカみたいにくだらないのが逆にウケる〜とか…
もろもろ全部それら内側のものを、表の世界に出す手段。ざっというと表現。

それが音楽、芸術全般に対する僕のカテゴライズ。

そして、それを表の世界に出して、より伝わりやすく考えること。
それが先の日記の“掘りさげる”こと。
バカみたいでウケる〜…なものを、お笑い芸人はどれほどマジメに掘りさげて、考えることに時間を費やしてることだろう。

そして二胡の技術的なことや、表現の部分も自分なりにカテゴライズして掘りさげたものもある。

それらもこれからこのブログに書いていこうと思います。
あ!こたにの持論なんで、それなりな程度に読んでね〜。

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