レベルと方向性 – 5

お久しぶりです。
レベルと方向性シリーズの再開です。

1.楽しいと悲しいの方向の違いは、なぜ悲観する必要がないか?
2.楽しいと楽しくないの違いは、どこに原因があるか?
前回までは1.に着いて書いてきましたが、2.について書いていきます。

さて、今までは例えを右とか左とか、左右の角度の範囲とか、抽象的なもので例えてきましたが、具体的になってきたので、二胡の音楽に言及して書いて行きたいと思います。

前回記事は “レベルと方向性 – 4”

鼻に指突っ込んでるよ〜

今まで僕が見てきた中で、二胡を弾かれる方の、二胡に感じている魅力は本当に様々です。
ジャンルで言うと中国曲、もしくはヒーリングサウンドが好き、という方たち。
ジャンルに特定しなければ、二胡独特の音色だとか、二胡そのものの特性が持つ曖昧さ、不完全さ。
上に挙げたものは全て方向性、言い換えると “属性” です。
それ以外のものに魅力を感じている人もいます。
ただでさえマイナーな楽器なのに、更にマイナーを選ぶという潔さ!!
僕もそんなピンポイントなひとりじゃないかと自己分析…(´Д` )

ちなみに僕は感情を表現できる幅の広さ、というところに魅力を感じています。
音色も二胡独特のものは多分に魅力を感じていますが、北京八角を選んでる時点で、まろやかさだけに魅力を感じているわけではないです。
スティービー・ワンダーみたいな通る声の高音が欲しいです。
でもバイオリンとは違うという、ホントにピンポイント。

話を戻して、ゆったりまったりした二胡の音色が好きだ、という方にとっては、速くてけたたましい楽曲は好まないかもしれません。
もちろん両方好きだという方もいるでしょう。
それはその方の方向・属性の許容範囲が広いということです。
それが人によって様々だということです。

ゆったりまったりが好きじゃない人たちに、その種の音楽を聴かせて、良いと思ってもらおうとするのは、どんなに技術が高い人でも無理です。
かのMJでさえ、好きじゃない人もいるくらいです。
それが1.の問題で悲観する必要はないということ。
ですが、それを好きな人たちに良いと思ってもらえない場合は、良いと思ってもらうための練習・研鑽はするべきです。

ゆったりまったりの演奏を目指したいのに、人に聴いてもらった時の印象がゆったりまったりじゃなかった場合、それは明らかな演奏力不足だと言えます。
それが2.の問題です。
大まかにゆったりまったりの中でも、人によってはその範囲に当然個人差があります。
100%完全に範囲が一致するという人は一人もいないでしょう。
その細分化した時の微妙な数%のズレが、レベルなのか?方向性なのか?の見極めはとっても難しいですし、ケースバイケースです。
そこを見極めるようになれると、自分自身の取捨選択がとってもラクになりますが、それでも人は大まかに良い音楽には、良いと思う共感性が存在します。
人間ってとっても不思議です。
だから面白いのかも…。

まぁ僕のレッスンも技術は高いに越したことはないので、当然技術を中心に教えているわけですが、僕が技術の全てを完璧に何でもこなせるワケでもないので(特に速弾き)、技術だけに徹底的に特化したレッスンにするのもちょっとなぁ…と思うんです。
それこそ中国人演奏家の方たちは、僕のような大人になってからの、限られた時間の中で積んできた練習量とは、段違いな量を積み上げてきたんですから。
あ、誤解のないように書いておきますが、それでも僕の技術力は結構なモンだと思いますよ〜(´Д` )

自分がどこを目指していて、その為にはどんな演奏表現が必要になってくるのか?
僕は無理に一方向だけを向かせるような指導ではなく、生徒さんのそこを見極めて、その方向をより深く掘り下げられるような指導をしていきたいです。
そここそが個性のある表現に繋がって行くことですので。
その為に僕に必要なスキルは、創造性に対する幅の広さや視野の広さになってくると思います。
これも前職が活かされている点だと思っています。

それが僕の講師としての方向性かなぁ?自分で自分のことを客観的につかめてないのかもしれませんが…。

さてこのシリーズ、いよいよ終わりが見えてきました。
次は僕個人の方向について書いてみたいと思います。
次回で終われそうかな?

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