父を見舞いに帰る 2024年7月25日(木)
歯医者の予定を変更させていただき、実家へ帰る。
見舞いが本来の目的ではなく、お医者さんから父の状態の説明とこれからの対処方法の説明と家族の同意が必要とのことで、母だけの判断だけでじゃない方が…と母から連絡をもらい、この1日急遽甲府へ帰ることにした。
弟も休みを取ろうとしたようだが、どうしても空けられなかったようで会えなかった。
病院に行って早速説明を…と思ってたけど、担当医の方がちょっと遅れるとのことだったので、父への面会に行けることに、結果ガッツリ見舞いもできた。
会話は普通にできる。
えりかさんのことは覚えているようで、10回くらい「えりかさんは元気か?」と質問してきた。
元々の入院の直接的な原因はコロナの高熱だったのだが、それは完治。
そして認知症は数年前からだった。
お医者さんもいらして、現状の説明を受ける。
今父に起こっている病状としては2つあるとのこと。
入院がキッカケで分かった新たな症状としては前立腺炎による排尿障害。
リンパ腫が発覚してから頻尿になってると母から聞いてはいたが、頻尿の原因として前立腺炎によるものだったようだ。
数日前までは排尿できてはいたようだが、今は出ないようなので、膀胱から管を通して尿を出す処置を施したとのこと。
膀胱留置カテーテルという器具からパックに溜める方式の排尿をしている。
最終的にこれが無くても排尿できそうかどうか?という判断は週末に泌尿器科の先生から診断が正式に下るが、この状況だとカテーテルを外せる可能性は低いだろうとのことで、こちらは今後家族の補助が必要だとのことだった。
デイサービスの方も説明を聞きにいらしてくださって、介護士さんの方も週2回の補助はやってくださるようだ。
そしてもう一つは今年になって発覚したリンパ腫。
最初に発覚したのは肺への癌だったのだが、このリンパ腫から色々なところへ転移して肺にも転移したようだ。
こちらがステージ3との診断だったが、レントゲン?スキャン?の影の大きさから診るとステージ4くらいと言って良いくらいとのことだったが、本人が痛がったり苦しんだりしてる様子がないので3、とのことだった。
父が苦しがってないのが何よりだなぁと思った。
こちらの今後の診療方針として、化学療法という選択肢もあるが、免疫力が落ちるという副作用もあるため、本人が苦しがってないのもあるし、このまま何もせずに経緯を見守りつつ、その都度対応という形が良いだろうとの内容だった。
母、デイサービスの介護士さん、僕、全員その方針に賛成。
週明けには退院という形で良いでしょうとのことだった。
退院後の補助方法として、まず実家は寝る時布団なのだが、補助の為にベッドにした方が良いだろうとのことで、デイサービスからベッドをレンタルすることに。
実家はモノが多く、動線スペースが狭いので、ベッドを入れられるかどうか?がまず最初に僕が心配したことだ。
母1人でその家の中のモノをどうにかできそうにないくらいのデカいダンスとかが入り口の襖の半分を塞いでいて、襖を外しても半分の幅しか確保できないので、ベッドを入れられなそうなのだ。
退院が多分来週との事だったので、それまでに僕もまたそれを手伝いに来ないと…と思ってたが、どうにもその予定が空けられない。
病院を出る前に「あっ!そうだ!今日だったら終電までの時間でやれそうだ」と思って、病院を後にしたあと実家に戻ってベッドが入れられるように邪魔なモノを母と2人で動かすことに。
夜に終わって母と食事にはま寿司へ行く。
すげ〜汗かいた。
確実に時が動いている。
刻々と状況は変わる。
自分もそんな歳になったんだなぁと思う。
帰りの甲府駅前の喫煙所で一服しながらそんな事を思う。
日付けが変わるちょっと前に東京へ戻ってきて、朝までリアレンジ作業。
音の打ち込みはできた。
パラに書き出して、いよいよミックス…は、二胡チャンの編集を終えてから再開かな。
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