倒産、自己破産、認知症、癌、尿閉の父を見て 2024年7月26日(金)
午前中から昼過ぎまでレッスン。
今日の予定としてはレッスン終わってからレコーディングをしようとしていたが、昨日のこともあってかあまり眠れておらず、ちょっと寝てからやろうかな?という思いで休んだら、夜までガッツリ寝てしまった。
えりかさんは出演で帰りが夜遅い予定なので、先に晩ご飯を食べようとして…でも、外に出るの嫌だなぁと思ってウチにあったもので済ます。
カップヌードル(チリトマト)と冷食の銀だこ…たまにこういうの食うとすげ〜美味い。
食べ終わった後に編集作業をやろうと思ったが、昨日のこともあってか、作業にとても気が向かない。
ダラッとしながらも頭の中で色々と想いや考えが浮かぶ。
昨日父を見舞った後に、母と2人で食事したり、帰りに駅まで送ってもらいながら色々と話した。
話した内容を書く前に父の現状をさらっておくと、数年前から認知症は始まっていて、現在酷くはないものの直近のことはもう覚えられていない、表情は豊かではなくなったなぁという印象だ。
自分が癌だということも覚えられず、母から告げられる度に「ガーン」と言うとのことだ。
昨日も書いたが、父は現在どこも痛がったり、苦しんでいないのが救いかな。
帰りの車の中で母は
「お父さんが認知症になって思ってたより呑気なんだなぁと思った。」
「昔は仕事のこととかですぐイラッときてケンカになったりして、認知症になったら怒りっぽくなる人もいるって聞いたから、もっと手がつけられなくなるかと思った。」
「前は、お父さんが死んだら頭蹴っ飛ばしてやると思ってたけど、今のこの呑気さがお父さんの “地” だったんだと思うと、怒りっぽかったのはいつも仕事のことで先行きが見えなくて必死に不安と戦ってたんだなぁと思ったよ。」と言っていた。
母とこの会話をする前に偶然こんな記事を読んでいた。
■日本で認知症が「ぶっちぎりで多い」のは「遺伝のせい」なのか…?日本人が「ストレス中毒でボケる」悲しすぎる理由
実家は倒産という形で事業を終えた。
父は自己破産をし、僕が生まれ育った実家はもう小谷家のものではない。
今はマンション住まいで引退後の暮らしを送っている。
倒産する前の数年間は実家の事業の状況は大雑把には聞いていた。
次はどうする?これをしてみてもダメだった…という八方塞がりな状況だったようだ。
引退後は特に何かやりたいことを見つけてやる、ということもなかったようで毎日新聞やテレビを1日見ながら、家で酒を飲む頻度や量が日に日に多くなっていたようだった。
認知症は上記の記事の要因もあるのかもしれないが、アルコール性認知症というのも存在するそうだ。
それでもコロナの時にオンラインでビデオ通話した時に「マスクしてる?」って聞いたら「うん、してるしてる!」って応えてたくらいではあった。
今はそれよりかは多少進んでるかな。
そしてこれからの懸念として、膀胱留置カテーテルを着けている現状を認識できず、膀胱からの管を「なんだこれ?」と思って引き抜いてしまうこと…看護婦さんの話によると、それをやっちゃった場合とても痛いそうだ。
それは起こること前提として構えておかないとだが、その頻度が高いと補助をする母が大変だろうと思い、いまその辺りの情報がないかを色々とネットを調べている。
いくつかあったけど、具体的な良い対策的なものはまだ見つかっていない。
検索のワードを変えて色々試してみよう。
僕自身も父の体質的特徴を結構引き継いでいる…と実感している。
父を見て気をつけたいと思うし、先のリンクの記事を見て思うのは、自分も悲観的な方だ。
父の事業もだが、刻一刻と変わっていく社会のあり方に、頭を柔らかくして時代に付いて行くことだけでも精一杯。
新しくなるテクノロジーに触れること自体に抵抗を持ちたくない気持ちもあるが、どこまで、いつまでそれをやりたいと思えるか。。
その新しいテクノロジー自体に、自分がまだ知りもしないこともあったりもするし。
しかも付いて行くことそのものに強迫観念を覚えてしまったら本末転倒だし。
いまやっていることができていて、楽しめていられるのが理想ではある。
生活自体は、今は困窮しているわけではないが、この先どうなるかなんてホントに分からない。
今思うのは、この先社会や生活がどうなったとしても、二胡弾いて生きていくことをしていこう。
そんなことを改めて頭の中を駆け巡る2日間だった。
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