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甲府に2泊…から甲府3日目の今日。
父が大腿骨を骨折し入院したので、病院に見舞いに行く。
前に会った時より、さらに小さくなっていた。

予め僕が行くことを伝えてたとしても、恐らくはその事を覚えてなかっただろう。

病室に入ったら「おお!純…」。
僕のことは忘れてないようだ。
入院してからは何度も「純と哲(弟)に会いたい」と言ってたそうだ。

僕が来たことが分かって喜んでくれてたようで、そして二言目には「純がデカく見えるなぁ」と。
そしてその事を、その後5〜6回くらい言ってた。

交わしてる会話の中で母が「純と哲は分かる?」って聞いたら、父は「そこまでボケちゃいないよ!」と返した。
母と僕で笑う。

昨年父にリンパ腫が見つかり、それも2箇所。
父の体力では投薬にも手術に堪えられないだろうと、お医者さんの見解。
幸い痛みはさほど無いようで、苦しんでいないのが救いだと思う。

ガンへの積極的な治療ができないこともある中で、お医者さんも、僕ら家族も望むのは、父本人に体力をつけてもらうこと。
そのためには骨折からのリハビリをしてもらうことなのだけど、いう事を聞かない足を動かそうとするには大変だし、痛みも伴うようだ。

そんな時、リハビリで足が動くようになった暁にはこんなに楽しいことが待っている…ということが、乗り越えるためのモチベーションになるのだが、その暁を覚えてられないのだから、現時点での痛みに、リハビリの気が失せてしまうのだろう。

何日後かの目標を忘れてしまうのだから、その日その時のこととして頑張ってもらうためのことを何か考えられるとイイなぁと思った。

母から聞いたこととして、入院する前は食欲がなくなってた父が、脚の手術が終わった何日か前に「うなぎ食べたい」と言って来たそうだ。
食欲が戻ってて良かった。

そこでリハビリ頑張ったらうなぎ!という張り紙書いたらどうかな?と思ってその場で書いた。

会話の中で父が聞いてきた。
「純はいくつになっただ?(なったんだ?の甲州弁)」
「今もう51だよ。」
「もうそんなになったのか…歳を取ってるはずだなぁ。」

僕も心の中で同じことを思った。

父のやってきた仕事。
現役の時は色々と目標とか信念を持ってやってきたことだろう。

僕も30代の時は、先のこと、これからのことを思ってた毎日だったが、50を過ぎて思うようになってきたこと。

そして、今この瞬間も改めて思ったこと。
今を精一杯生きてこそ。

今日も1日お疲れさまでした!

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