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甲府発表会の翌日、当初は終わったその日に東京に戻る予定だった。

父の容体は落ち着いたり急変したり。
発表会の2週間前くらいかな?
骨折のリハビリ専門病院へ転院。

しかし発表会10日くらい前、癌の痛みで起きれずにリハビリが進まない、そして総合病院にまた転院し返すと連絡が。

総合病院の先生からのお話があったようで、あと2ヶ月ほどで意識がなくなるかもしれないと。
母からは最後に向けてどう過ごすのか?という時が来たようだと連絡があった、そして母から提案があり、これが最後になるかもしれないので、二胡弾いてほしいと。

もちろんOK。
で希望日として発表会翌日にもう1日甲府に滞在延長しようと決めた。

でもまだ病院内の二胡を弾ける場所(部屋)が予約取れるかどうか?の確定ができずな状況。
いずれにしても、もう予約を取ってしまった新宿〜甲府の切符の日時を早めに変更しないと、座席が埋まってしまう可能性が高いので、もう決め打ちして予約変更…それが1週間前。

そして発表会の4日ほど前、演奏場所が取れたとのことで発表会終わった後に甲府にもう1泊。
発表会の疲れで、この日は早く寝て一旦目が覚めるも二度寝して昼まで寝れた。
久しぶりにガッツリ寝れた。

もう僕が生まれ育った実家は引き払って、両親は市内の別の町でマンション住まい。
そこで何年かぶりにその新たな実家に泊まる。

当日病院から母に電話があり、父に血尿が出たので、その処置のため開始時間を遅らせてほしい。
容体によってはもしかしたら演奏聞かせてあげられないかも…と。
その時は見舞いだけでもということで、予定時間を少し遅らせて病院に行く。

もう弱っているのは見て分かるが、痛みは薬で和らいでいるようで、少しの痛むとのことで話はできる。

「哲(弟)はいつ来るだ?」と父。
母は「哲が来ると『純はいつ来る?』って言うんだよ。」という。
認知症なので、もちろんそれは何度も聞く。

自分(父)がいて、母がいて、僕と弟がいる。
4人でささやかな暮らしをしていた家族の光景が、父にとっての1番大きな記憶のかけらなのだろう。

今は父と母の2人暮らしだからこそ、4人が集まる光景を想い、願望が素直に出てくるのか。
父のその言葉に、咄嗟に家族4人で小さく雑多な食卓を囲んで食事した、幼い頃の僕の記憶にある光景が思い浮かぶ。

それからどのくらいの時間が経ったのだろう。

程なくして血尿の処置も済んで、容体も大丈夫だろうとのことで、父に聴かせてあげられるのはこれが最後になるかもしれない二胡を20分ほど弾いた。

多分父の思い出にはならないだろう。
それでもその瞬間を大切に生きる。

父も、僕も。

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