目まぐるしい1日 2025年7月4日(金)
父は苦しまずに逝けたようだった。
緩和ケア病棟に入って、最後の時をなるべく苦しまずに過ごすことができたようだ。
それが何よりだと思う。
母も病院から連絡があって、急いで来てくださいということだったが、昨日僕に電話があった時にはもう遅かったようだった。
母はそれを悔やんでいるようだったが仕方ないことだろう。
父は穏やかに目を瞑っていた。
母や僕が上京してからの30年間、弟は山梨に戻ってからの20年、父と過ごしてきたから、僕よりも近い日々の父の記憶が強いと思うけど、僕は高校までの父の姿をよく思い出す。
昨日、催事業者さんとお話をした後、通夜と葬式の日を決め、日が明けてからの今日は目まぐるしかった。
葬式まで1週間、家族の都合もありその日に決まって、エンバーミングという初めて聞く言葉に「ほう」と思いつつも、エンバーミング処置をしてもらうために午前中に一時遺体を運び出してもらう。
そのタイミングで、これから葬式の打ち合わせをする前のどんな事をこれから決めるのか?という説明を受けてから、業者さんは一時退出。
午後からの打ち合わせの前に、方々へお知らせやら連絡。
午後に業者さんが戻ってこられて、改めて打ち合わせ。
即断しなければならない。
聞いたり、調べたりして、知ってはいたが、やはりお金がかかる。
ウチはがん保険のおかげで入院費は負担が少なくて済んだようだが、諸事情で死亡保険を解約せざるを得なかったので、これは大変だと思った。
キャッシュでほぼ一括。。
打ち合わせが終わった後に、返答を一旦保留にして家族で話し合う。
で、決める。
その後も案内文急いで作って、あっという間に夜になる。
終電の前には東京に戻ってきた。
済ませなければならない仕事もあるが、ひとまず帰ってきてホッと一息。
やはり父の顔が浮かぶ。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。